ひとよし温泉 和風旅館 芳野

明治42年より続く、登録有形文化財にも
指定された歴史を残す宿

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芳野の歴史

芳野旅館百年の歴史。 「国登録有形文化財」平成25年03月29日
  • 創業明治40年、すべてはここから。

    明治40年、熊本で郵便関係の運送業で財をなした初代館主田口豊吉が
    肥薩線開業(人吉駅)間近で賑あう人吉で事業を始める。
    安藤家(相良氏700年歴史有る人吉藩の御典医)の女(娘とも姪とも伝わる)
    初代女将、与津子と出会い運送業の傍ら仕出し屋を始める。

    明治42年6月、女将の実家の一部、座敷を使い(現芳野旅館自宅)で人吉駅関係者や 材木商相手の料亭「吉野本店」創業。

    事業に成功し料理屋「吉野分店」など支店をいくつか出店。

    明治45年(大正元年)2月初代女将(享年31才)で亡くなる。
    大正2年正月、本格的に安藤家の屋敷跡を 料亭「芳野」とし増築、山田川沿いに百畳敷き三階の建築物を建て、多くの県内外の政治家や文化人に愛され賑う。
    しかし、初代館主の「料亭文化」は残さない文化との考えから「個人の秘密は厳守」で記録などは何も遺されなかった。


  • 昭和初期、旅館を併設。

    昭和初期(元年~5年間要したと伝わる)敷地内に温泉(上総堀で自噴)を掘り旅館を併設、現在の広間は昭和6年4月30日京都で修行した宮大工、和賀篤三郎棟梁、鹿児島の後藤氏、左官は安部氏により建てられた。その後初代館主は熊本市内に料亭.割烹「吉野家」開業、熊本市内に居住 旅館「芳野」は二代館主に引き継がれた。

    昭和19年7月21日~22日集中豪雨、山津波で三階建ての建物は地面ごと流失。
    その時二代目館主が他の建物の流失を防ぐ為、大広間のとの境を命がけで斧を振るったと伝わる。

    現在残る建物は木造二階建て、茶茎の壁、古い船板、竹細工、古木の床の間など、その当時の珍しい建材を使用した大正ロマン調の造りなど、一部屋ごと違う造りで料亭時代の色を今に残している。

    屋敷全体風水で造られ、特に玄関は不思議な方向を向いて建てられている。昔からの言い伝えで、門で振り返り玄関の不思議に 気が付くとその方の運気が上がると言われている。中庭は御典医安藤家(芳野)、人吉城の庭、武家屋敷、永国寺、青井神社大宮司邸の 庭と同門の庭師の作だと伝えられ(相良藩五大庭園)、亀石、鶴石、花立、お稲荷さん、玄部の祠灯篭、松、池など 古き良き時代の趣が随所に残しています。又 芳野の庭園は黄檗宗の影響を強く受けた庭(2012夏 奈良国立博物館木管 解読)とも伝わります。


  • 四季と共に歩む旅館。

    外庭には、桜の木が十数本有り窓一面の桜は春には見事。
    浴場近くの山桜の大木は70数年前大水で球磨川から流れ着き、それを拾い植えたと伝わる。三代館主死去に伴い墓地改修したことにより初代女将の存在や「芳野の歴史」が判明。
    現在温泉は平成21年2月掘削、地下600m.から湧き上がる100%天然温泉、弱アルカリ、少し塩分を含む炭酸泉。
    加熱循環なし 源泉掛け流し温泉。
    露天風呂から見る 「秋」紅葉 「春」桜の花吹雪は偶然の風と神様からの贈り物です。

    平成25年3月29日「国登録有形文化財」に登録されました。


登録された文化財の概要

人吉温泉の歴史を物語る貴重な木造和風旅館

登録有形文化財は、近代の古き良き建造物が開発や生活様式の変化などによって消滅するのを防ぎ、活用しながら後世に残していくために作られた制度。
建築後50年を経過し、国が定める登録基準に該当したものが登録されます。

◆登録された文化財の概要
本館、別広間棟、居間棟、従業員棟
◆建築年代
本 館  1931(昭和6)年
別広間棟  1913(大正2)年
居間棟   1888(明治21)年
従業員棟  大正前期
◆建築年代
住宅から温泉旅館へと変遷した経緯をよく伝えている点
・舟や水車の古材、竹や木を用いた数寄屋風の風情ある客室
・建物群が中庭を囲むように建ち、温泉旅館の風情を醸し出している点